昨日は久しぶりの快晴。
これからよく見られる午後の風景。
今年の夏はミョウガをたくさん食べました(どれくらい食べたかも忘れるほど)。
昨晩も。
半分に切り、油をしいたフライパンで炒め、塩を振り
蓋をしてしんなりするまで蒸す。
あとは酢をちょいとかけて、ハイ、出来上がり(冷製なので冷やせばいいのですが、そのまま皿に盛りつけて食べてます)。
四谷発の「ミョウガの冷製」、ただいま
鶴岡市付近を北上中です(3番目のブログ記事)。
来年はミョウガに困らぬ生活を夢見て(買うと意外と高いですし)、ミョウガ株(←暴落したりはしない株)をオヤジからもらい、隅っこに植えました。
その植え付け場所の草刈りをしていた時に見つけたもの。
ケガをした薬指もだいぶ元のカタチになってきました。
これから産卵予定、足の一部が無い身重のカマキリ。
来年に「命」をつないだあと静かに消えるのでしょうか。
今年の「文芸春秋」9月号、物理学者の故戸塚洋二さんの記事中、正岡子規の言葉があり
「悟りといふ事はいかなる場合でも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」(文中そのまま)。
このカマキリは、まさに悟りの境地で生きているようにも思えたのでした。