モノを作って売る商売なので、自分が死んでからもカタチとして残ります(いいような悪いような、、、)。
日野屋さんで思わず買ってしまうモノは、作った人(もうお亡くなりになった方ばかりでしょうけど)の息づかいというか、心意気のようなものをなんとなく感じるものが多いですね。
昨日、その日野屋さんでお茶を出してもらった時、お盆に乗っていた干支のネズミ。
2,000円というので衝動買い(ブロンズ製?:「木で同じモノを作ったら買うよ」と言われましたが、、、守備範囲外です)。
”腕”はまあともかくも(たいしてないので)、せめて作る時の心意気だけは高くありたいと思っています。
自分が作った(関わった)モノが人から人に渡っていた時、ゴミとして捨てられないようなモノであればいいと思いますが、、、(←「孫子の代まで使える」なんていう”嘘くさいコピー”はゴメンこうむりたいところです)。
以前、佐藤阡郎さんが
HPで「恥」について書かれておりました(その文章の「たらの芽通信]は更新され今は読めませんが)。
たしか師であった方との会話で「生きているうちにかく恥はいいけど(直せるけど)、死んでからかく恥は耐えられない(100年後か200年後)」といった内容だったかと(←うろ覚え)。
「死んでからかく恥に耐えられるか?」
なかなか深〜い自問自答の”問いかけ文”と思っていますが、みなさんはいかがですか?